編集室より『管理人不定期日記』

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■ 撤去・解体 ■

 最近、このサイトで取り上げた物件のいくつかが既にこの世から消えてしまっている。いちばん惜しまれるのが、指宿スカイライン近くの『廃小学校』だ。石碑ができていたから、取り壊されることはわかっていたが、先日行ってみたら校舎が完全に無くなっていた。

 わかっていたとはいえ、何もなくなっていたその場所にたたずんだ時、やはり心の中が虚ろになったような気持ちがした。

 ここだけではない。日本の南の終着駅である枕崎駅の古い駅舎も、もう壊されてしまったということだ。まだそれを見には行けていないが、本当に心の底から残念に思う。同じく初期に取り上げた廃喫茶店や、『夢の跡』と題した廃レンタルビデオ店も既にこの世にない。最近アップした『指宿市某所の廃店舗』も数日前に解体され、今は更地となっている。

 それだけに、手前みそながら、このサイトはどこそこに何があったという記録のような役割を果たすものになっているのかもしれない。

 (2006/8/8)


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■ お恥ずかしいかぎり ■

 決してわざとじゃないんです。気がついたら、何も更新しないまままたまた4ヶ月経ってしまいました。でも、その間もこのサイトをご覧くださるかたがおられたこと、ただただ感謝であります。

 さて今回のネタは廃墟ではなく、今までずっとどうしようかと迷っていたものです。ただ、貴重なものであるのは確かだと思いますので、アップすることにしました。ただし、こぼれ写真としてです。

 私は英語力があまりないので、もしかしたら勘違いの部分があるかもしれません。そこはご教授いただけると幸いです。

 (2006/7/31)


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■ またもブランク長すぎ ■

 新年の挨拶を書いてから早いものでもう3月半ばとなってしまいました。一月は行く、二月は逃げる、三月は去るとはよくいったもので、何をしていたというわけでもないのに、今日にいたってしまいました。

 まるで『放置新聞』状態でしたが、知覧の廃屋をアップしました。実はこれ、去年の秋ごろに探索したのですが、ページを作りかけで放置したままだったものなのです。

 また、『こぼれ写真』にすべきか正式の廃墟としてアップすべきか迷っているものがあります。これも近日中にアップしたいと思っていますので、おたのしみに。

 (2006/3/15)


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■ 2006年 ■

 2005年11月の更新を最後に、年を越してしまいました。明けて2006年、気持ちも新たに廃墟探訪の記録を続けていきたいと思っています。今年もどうぞよろしくお願いします。

 ということで、つい最近撮影したホテルの廃墟跡(もう建物がない物件)をアップしました。そこは十数年前に一度だけ泊まったことがあるホテルだったのです。眼下に山川港を眺めながら入れる露天風呂が妙に印象に残りました。

 しかし、その後経営者が亡くなり、ホテルは廃業、そしていつの間にか建物も解体撤去されてしまいました。で、あの露天風呂はどうなっているんだろう、という思いが高じて今回の探訪となりました。

 (2006/1/11)

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■ ブランク長すぎ ■

 先日『こぼれ写真』をアップしたのをかわぎりに、廃墟写真のアップにはずみがついたようです。今回の『指宿某所の廃店舗』、これもだいぶ前に撮影したものなのですが、やっと陽の目を見ることができました。

 やはり見所はなかみがそのまま入った500ccの瓶コーラでしょう。でも、あれから台風などが来て、もうこのコーラを見ることはできません。

 それにしてもブランク長すぎですね。(^^ゞ

 (2005/11/25)


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■ なんともはや… ■

 とりたてて重大な理由があるわけではなかったのですが、当サイトの更新に一ヶ月弱もかかってしまいました。なんかこんなんばっかし言ってますが…(^^ゞ。

 ネタの準備はできております。今夜中にでもアップできると思いますんで、どうぞご覧くださいまし。m(_ _)m

 で、『廃別荘潜入編』をアップしました。実際に潜入したのは8月でしたが、アップは本日となりました。

 (2005/10/18)


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■ やっと ■

 雑事にかまけて、長いこと新規物件のレポをアップできませんでしたが、今日やっと『指宿市某所の廃工場』をアップしました。廃工場といっても、田舎のことですし、それほど規模もおおきくないですが、ご覧になってください。

 (2005/9/25)


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■ ブランク ■

 8月末以来、更新しようと思いながらもなかなか手につかなくて、たいへん失礼しております。アップできる記事はありますんで、長い目で見てやってください。近日中に更新するつもりです。

 (2005/9/21)


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■ VIX ■

 これまで40件を超える廃墟その他をご紹介してきました。もちろんこれからもアップは続けます。で、ここ最近フリーソフトVIXでHTMLアルバムをつくるようになりました。

 このソフトそのものはずいぶん前からつかっているのですが、頴娃町別府の廃病院跡のページからアルバムの作成をこのソフトで初めて行いました。いままでのものと融合させる形でこれからのページづくりをしていきたいと考えています。

 今後ともどうぞよろしくお願いします。

 (2005/8/31)


■ 鹿児島県揖宿郡頴娃町別府の探訪 ■


 いただいた情報をもとに、本日揖宿郡頴娃町別府の廃病院跡を訪ねての旅に行ってきました。国道226号線を枕崎方向へ進み、水成川手前で左折。高台になっているところに、それらしい跡をついに発見しました。

 しかし、どうも断定にふみきれない話をこの付近のおじさんに聞きました。確かに建物があったそうですが、病院ではなかった、洋風の建物でもなく純和風の屋敷だったということなのです。

 これに違いないと私は感じたのですが、念には念を入れてということで「仮アップ」という形をとりました。更なる情報をお寄せいただけると幸いです。

 ところでこのあたり、特に海に近い区域はかなり歴史を感じさせる古い家屋や路地が多いことを初めて知りました。また、おじさんとの話もたいへん興味深いもので、勉強になりました。

 (2005/8/27)


■ 裏池田湖? ■

池田湖南岸


 「裏池田湖」…実はこんな呼び名はないんです。でも、観光客の集まる池田湖の北岸と違って、南岸はまったくといっていいほど観光地化していません。だから、人によってはこちらがお好みかもしれません。で、裏池田湖と勝手に名前をつけてしまいました。

 (2005/8/23)



■ 指宿海軍航空基地跡のアップで ■


 このレポで、当サイトでアップした廃墟などの物件が40件になりました。サイト開設当初は20件も続けばいいかなと思っていたのですが、いつのまにか40件。玉石混交の40件ではありますが…。

 これを多いと見るか少ないと見るかはご覧いただいている皆様それぞれがご判断することではありますが、私としましては、よくまあこんなに集めたなあというのが正直なところです。

 これからもまだまだアップを続けたいと思っています。どうぞこれからもご来場のほど、よろしくお願い申し上げます。

 (2005/8/12)


■ 富屋食堂について ■

 鹿児島県知覧町といえば、本土最南端の陸軍特攻基地があったことで知られています。特攻観音が祀られ、無数の石灯籠が並んでいること。また、特攻記念平和会館があり、多数の特攻隊員たちの遺書・遺品が展示されていることなど、かなり知られるようになりました。

 で、数年前に高倉健主演の『ホタル』という映画がつくられ、知覧はさらに全国的に知られるようになりました。このときのオープンセットとして復元されたのが、この富屋食堂なのです。

 この食堂の女将さんだった鳥浜トメさんが後年語ったといわれるエピソードを一つだけご紹介しましょう。お孫さんとトメさんのやりとりです。


 「ばあちゃんな、ないごて兵隊さん達が好っじゃったとな?立派やったでな?」
 「立派じゃってん、じゃなかしてん好っじゃったとお。」
 「行かんち言っせえ泣かんかったで好っじゃったろがな。」
 「泣いたとお。みんな泣いたたっで。人ん衆な見せんどんかい、涙も枯れ果てっせえ行ったとお。
  だれがよろくて(喜んで)行ったもんかい。いけなこてぐらしかったかしれんど。」

『華の時は悲しみのとき』より

 (2005/8/6)


■ 半廃墟状態追加写真 ■

廃中学校


 最新の公開物件である、半廃墟状態の学校をもう一度訪れてみました。あわよくば中に入れないかという期待をもちながら…。しかし、厳重に施錠されており、入ることはできませんでした。

 でも、早朝だったこともあり、こういう写真が撮れましたので、アップします。しかし、見れば見るほど内部はどうなっているんだろうという好奇心がますますつのります。



 敷地内の石碑などを見てわかったことですが、ここは昭和50年に廃校になったようです。それ以来ずっとこのままだったということ自体、すごいことだと思います。中学校だったころの様子がしのばれます。

 (2005/8/4)


■ 廃墟探索こぼれ話ならぬこぼれ写真 ■

 廃墟をもとめて、これまでいろんなところへ行ってきました。で、残念ながらボツになった写真もけっこうあるのです。それらを放っておくのももったいないと考え、『廃墟探索こぼれ話ならぬこぼれ写真』を新設しました。ご笑覧ください。

 (2005/7/30)

■ 某百貨店について ■

 五日ぶりというより10日ぶりといったほうがいいかもしれません。新ページ『指宿の某百貨店』をアップしました。また、背景も変えてみました。あるページで使っているものです。

 本当にここは倒産してからというもの、どこが買い取るでもなく放置されたままなのです。指宿の地元の百貨店として老舗だったところなのですが、押し寄せる大資本の波にはかないませんでした。

 また、倒産の原因の一つになるのかもしれませんが、頴娃町に支店を出していたことがあげられます。当然、この支店も閉鎖され、放置されています。本店ほどひどくはありませんが…。

 無理な支店の出店も倒産の原因ではないかと私は思います。規模としては本店に比べとてもこじんまりとしていましたが、それでも無理があったのでしょう。場所もよくなかったですね。無理な設備投資をして、経営が悪化し、つぶれるのはよくあるパターンです。

 (2005/7/27)

■ なかなかねぇ ■

 このところ、なかなかアップができないまま日にちだけはどんどん過ぎていく。そろそろネタ切れか? そういうわけでもないんだが、あたらずとも遠からず。

 このサイトを立ち上げてからというもの、車に乗っていてもバイクに乗っていても、とかにかく古いもの、廃屋などに目が行ってしまうようになった。

 残念ながら、そのほとんどが、ボツ物件になっている。廃墟というにはそれなりの雰囲気があるものだ。「これは!」と思って車を停め、そこを覗いてみると、ホントにただの廃屋だったりで、がっかりすることが多い。

 廃屋には、廃墟とよぶにふさわしいものとそうでないものがある。この違いは何なのだろう。やはり、何らかのいわれのありそうな場所と、単に人が住まなくなった場所との違いかもしれない。

 このサイトでも廃墟とよぶほどでないものもアップしている。お恥ずかしい。

 (2005/7/21)

■ 枕崎シリーズ ■

 しつこく『枕崎その四』をアップしました。一応これで枕崎シリーズは完結です。このシリーズはすべて同じ日に探訪しているのですが、全部を一気にアップできなかったので、このようなことになりました。

 第一回は5月30日のアップですから、まるまるひと月以上かけての今回の完結編となります。途中、ほかの物件のアップを優先したりしたもので、とびとびのアップになってしまいました。どうもすみません。m(_ _)m

 また、あちら方面へ行くことがあったら、いろいろ探してみたいと思っています。

 (2005/7/11)

■ 5000アクセス ■

 この廃墟のHPへのアクセスが5000を超えました。ご覧下さっている皆様に、心より感謝申し上げます。廃墟という、忘れられた空間をこれからも紹介していきたいと思っています。

 思えば、子どものころ、いろんな不思議空間がありました。友達の家が元警察署だった建物で、留置場などそのままの状態だったこと。食器などがちゃぶ台の上にそのまま残っていた廃屋。書斎に無数の本が散乱していた廃屋。そのままの状態で残っていた防空壕…。

 可能ならば、その当時のその場所へもう一度行ってみたい。そう思います。もうそのほとんどが消滅しています。残っているものもありますが、内部へ入ることができなくなっていたりしています。

 今後ますますそういった廃墟は少なくなっていくのではないかと思います。そうなる前に一つでも多くの物件を訪れてみたい。記録に残していきたい。そう思います。

 (2005/7/9)

■ 枕崎シリーズ ■

 『枕崎その三』をやっとアップできました。写真の数は少ないですが、中途半端に解体されてそのままのような状態の廃パチンコ店です。いつごろ廃業したのかは、わかりません。でも、パチンコに詳しい方なら、パチンコ台の機種から、だいたいの年代がわかるかもしれませんね。

 私は、もう十年以上パチンコをしていないので、わかりません。(^^ゞ

 (2005/7/2)

■ 開聞岳周辺について ■

 またもや枕崎シリーズを後回しにしております。申し訳ありません。6月26日日曜日、開聞岳周辺を探訪しましたので、こちらを先にアップしました。

 また、揖宿郡頴娃町の探訪も予定しています。成果の程を披露できるといいなあと思っています。気長にお待ちください。それまでのあいだに、枕崎の物件のページをつくれると思います。


■  ■

 指宿近辺で害虫となっている「蛾」の成虫の写真撮影に成功した。見たくない人はクリックしないでください。これ ⇒ 蛾 とこれ ⇒ 蛾 です。揖宿郡頴娃町の某所で乱舞していました。

 頴娃町別府を探索していた時に、一軒の廃屋を見つけ、近づいたところ、こいつらがうじゃうじゃ飛んでいました。かんじんの廃病院を見つけることはできませんでしたけど…。

(2005年6月24日)

■ 小学校跡地について(補足) ■

石碑にある写真


 本編に掲載していなかった小学校跡地という石碑に刻まれている写真を載せておきます。

 (2005/6/21)


■ 小学校跡地 ■

 またも同じいいわけになりますが、枕崎シリーズを後回しにしております。というのも、このサイトを立ち上げてまもないころ、アップした「廃小学校」に行ってみたところ、記念碑が建てられていました。

 それも「小学校跡地」という石碑です。校舎はまだありましたが、跡地と刻まれた石碑があるということは、校舎の建物が撤去されるということでもあります。これは写真にしておかなければということで、「廃校」 - 最新情報 としてアップしました。

 (2005/6/17)


■ 本来ならば ■

 本来ならば枕崎シリーズの続きをアップするのがスジです。しかし今回は、急遽枕崎シリーズをお休みしました。
 なぜかというと、ちょっと訳あり物件だったところが撤去されてしまい、これは今こそHPに保存しなければと思い、
 「廃店」 - 夢の跡(悲)をアップしたわけなのです。
 これまでボツネタになっていたものが、こうして日の目を見ることができたわけですが、思いは複雑です。

 (2005/6/14)

■ 枕崎その二 ■

 5月30日にアップした『枕崎その一』につづいて、『枕崎その二』をアップしました。この枕崎シリーズはまだ続きがあります。ご期待ください。

 (2005/6/5)


■ 廃墟というより廃屋 ■

枕崎にある廃屋にて

 鹿児島県枕崎市。JR日本の鉄道駅としては南の最果ての駅がある。先日、枕崎方面の廃墟を訪ねてのミニツーリングをした。枕崎は廃墟・廃屋の宝庫、とまではいかなくても、探せばいくつも廃墟・廃屋がある。後日レポとしてアップの予定。写真はその一部です。

 でも、廃墟というより廃屋だらけと言ったほうがいいいいかもしれません。

 (2005/5/27)


■ 池田湖の周辺 ■

 池田湖はこれまでも紹介してまいりましたとおり、廃墟、史跡などが周囲にけっこうあるところです。九州一広い湖なのですが、その辺のPRが鹿児島県にしろ指宿市にしろ上手とはいえません。

 でも、だからこそ知る人ぞ知る不思議スポットでありつづけることができているのかもしれません。今回5月13日アップの『池田の馬頭観音』など、まったくと言っていいほど観光地化されてないので、興味のあるかたには穴場かもしれませんね。ま、何も無いと言ってしまえばそれまでですけど…。

 (2005/5/13)


■ ネタはあるんですが ■

 しばらくぶりの日記です。以前より更新の周期が長くなってしまいました。でも、ネタはあるんです。ぼちぼちですが、これからも地元指宿の廃墟・歴史的建造物・不思議スポットを紹介していきたいと思っています。

 (2005/5/9)

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■ 鹿児島市の中学生死亡事故 ■

 私がこのサイトを開設してしばらく経つ。何箇所か危険な場所の探訪も実行している。洞窟類の探訪は無いが、老朽家屋など落下物や崩壊などの危険に身をさらすことも確かにあった。どのページにも警告文を載せてはいるが、それだけでは済まされないのかもしれない。

 先頃、もと防空壕だった洞窟に入り込んだ中学生たちが一酸化炭素中毒によって亡くなるという悲しい事故が起こった。遺族・同級生・教師など、彼らとかかわりの深い方々には言葉もありません。ただただ冥福をお祈りするばかりです。

 (2005/4/12)


■ 私にしては… ■

 私にしては珍しく、一週間ぶりの更新です。先日この日記にも書いた、池田湖湖畔の廃墟をアップしました。これでもわかるとおり、探せばいろんな廃墟があるもんですな〜。( ̄∇ ̄*)

 (2005/4/10)


■ もようがえ ■

 もう4月3日になってしまったが、ちょいとHPのもようがえをしてみた。いいフォントを見つけたのでタイトルに使ってみたのだ。今までのフォントも好きだが、ちょっとおどろおどろしさが過ぎていたように思う。

 今のフォント、自分ではとても気に入っているのだがいかがでしょうか。

 (2005/4/2)


■ 意外にも… ■

 昨日、私の入れてもらっているバイクのクラブのツーリングで天草へ行ってきた。久々の長距離走行ができ、昨夜帰ってきたときはさすがに疲れが出たが、ぐっすり眠った。そのおかげか、今朝は気持ちよく目が覚めた。春分の日の代休で、今日も休み。

開聞岳新発見の廃墟


 女房子どもはまだ眠っていた。天気はものすごくいいみたい。で、いつもの池田湖一周コースを走った。池田湖で一服。

 今日はいつもと逆の周りかたをしたので、いつもとは違う場所で缶コーヒーを買い、一服しながらその辺をうろついた。


 バイクを停めたところからそんなに離れていない場所に、おや〜?と思うものが…。それが右の写真である。こんなところに廃墟が…。大発見だ! しかも地下への入り口。意外だった。まさに灯台下暗し。あらためてきちんとした形でアップしようと思う。「池田湖周辺は廃墟の溜まり場だ」とこの業界(?)ではいわれている。

 いや〜、それにしても早起きは三文の得とはこういうことをいうのかな。

 (2005/3/21)


■ 鑑真も泣いています ■

 坊津町の廃施設『遣唐使館』をアップしました。取材はだいぶ前にしてあったものです。坊津に限ったことではありませんが、探せば探すだけいろんな廃墟があります。

 それだけ、見込んだだけの客が来ない →(企業だったら)倒産・(自治体だったら)廃止 の憂き目をみている場所が多いということでもあります。

 「地方の時代に花を咲かせます」という某政権与党の看板があちこちにあるんですが、実態はまるで違います。

 (2005/3/19)


■ パノラマ化 ■

 既にアップしているページのいくつかの写真を専用ソフトを使ってパノラマ化しました。これまでは2枚の画像をむりやり重ねただけの不自然なものでしたが、出来上がったパノラマ写真を見てびっくりです。いや〜すごい!
 お暇でしたらどの写真が変わったか見てくださいませ。ちなみに今19件アップしているうちの前半のページの写真です。

 (2005/3/17)


■ 廃墟ではないが… ■

弥次ヶ湯温泉


 我が指宿市の温泉のひとつに、弥次ヶ湯(やじがゆ)温泉というところがある。明治以来のそれなりに古い温泉だ。


弥次ヶ湯温泉


 温泉を管理しているかたの住むこの家は明治時代に建てられたものだとか。本当に古い。だが、むかしの家というものは意外にも強くできているのだなあと感じた。

 また、指宿も戦争中は空襲に遭っているわけだが、それも乗り越えて今もその姿を保っていること自体がすごい。指宿の誇るべき貴重な文化財だと私は思う。


弥次ヶ湯温泉


 これは、温泉の湯船である。脱衣場と湯船のある洗い場の間には壁がない。つながっているのである。


弥次ヶ湯温泉



       階段である。こういう階段、普通の家ではめったに見られなくなった。 ⇒


弥次ヶ湯温泉


 これは休憩所ということになっている二階。

 きのう、たまたまだったが久しぶりにちょっとこの弥次ヶ湯温泉をのぞいてみた。最近国道沿いなどにも新しい看板ができ、もしかしてあの古い建物が壊され新築なんぞしてないだろうなと心配しながら。



 心配には及ばなかった。以前と変わらぬその姿をちゃんととどめていた。

 ただし、上に掲載した写真は、6年ほど前に撮影したものである。また改めて、正式なページに新しい写真とレポをアップできればいいなと思っている。

 実はきのう気付いたのだが、この温泉の周りには、何件かの廃屋があるのだ。たぶん上の写真を撮ったときには人が住んでいたと思うのだが、あれから6年の間に廃屋となってしまったのだろう。

 (2005/3/13)


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■ 題して『ピラミッドの館』 ■

ピラミッドの館


 以前にも書いた、『バブルのつけ』物件の近くにある廃墟。今日ついに探検することができた。実物はそうでもないのだが、初めて見つけたときの印象から、ここを『ピラミッドの館』と呼ぶことにする。
 予告編としてこのワンショットを…。クリックすると別ウインドウに別の拡大画面が開きます。

 (2005/3/11)


■ レトロ ■


 「バナナのたたき売り」は、北九州市の門司港が発祥の地だそうです。

 歴史をひも解くと、門司港には明治時代後半から終戦直前まで、台湾からバナナが大量に輸入されていました。バナナは青い状態のまま輸入され、陸揚げ後、熟成させて出荷してました。

 しかし、輸送中に早く熟れすぎ、黄色くなってしまったものがありました。これを早く売らなければ、傷んで売り物にならない。このため、門司港で、名調子の「バナナのたたき売り」によって、売りさばかれていたものだそうです。軽妙なトークでひきつけ、値切る客を引いたり押したりしながらさりげなくかわし、見事バナナを売りさばく技は、コミュニケーションのとり方の見本だったかもしれません。

 こうした歴史がある門司港には、昔ながらの赤レンガのモダンな建物など、レトロな街並みがあり、懐かしさが漂っています。このようなレトロな街は、九州にはこのほか、オランダ貿易の面影を残す街「平戸」などまだまだ残っています。MBCテレビ「九州レトロな街めぐり」では、ぶらりと訪ねたい街を紹介します。どうぞご覧ください。

☆T:MBC発九州7局TVネット「九州レトロな街めぐり」
《放送》3/5(土)14:00〜14:54

MBC(南日本放送)クラブメールマガジン「めるびーしー」編集部 編
『めるびーしー第215号』(2005年3月4日)より引用

 せっかくの情報だったのに、肝心のこの番組を見逃してしまった。
 九州各地のレトロな街並み、見たかったなぁ(T_T)。

 (2005/3/7)


■ ただいま準備中 ■


 これまで廃墟はもとより、地元のさまざまな不思議スポット・古い街並みなどの写真を撮影してきた。それを私なりに編集してアップするために鋭意準備中である。

 3月6日『開聞岳 謎のトンネル』をアップした。

 それから以前、「鹿児島では明治になって仏教寺院がのきなみ破壊された影響で、むかしながらの風情が少ない」と述べた。そんな破壊された寺院跡を何ヶ所かめぐって撮影したものを番外編として編集中。

 アップした折には、地味なテーマかもしれないが、ぜひご覧いただきたい。

 (2005/3/6)


■ ちょっと模様替え ■

廃車


 お気に入り、というほどでもないのだが、お散歩コースの途中にびわ畑があり、その一隅に朽ち果てた廃車がある。それがこの写真だ。ずいぶん前に撮影したものだが、この『不定期日記』と『プロフィール』、そして一部のページを除いたすべてのページの背景画をこれに替えた。不気味さが一層増した。

 (2005/3/3)


■ 今度こそ ■

ピラミッド


 だいぶ前にアップした「廃別荘 - バブルのつけ?」の廃墟を撮影した時、そこから少し離れた小高い山というか丘というかの上に、ピラミッド型の屋根をもったこれまた廃墟らしい建造物を発見していた。

 その時すぐに行ってみようと思ったのだが、その小高い山に登る道が見つからなかった。少し離れるとその屋根が見えるのだが、どうしてもそこへアクセスできない。あの時はもう夕刻だったこともあり、また来ようということにした。


ピラミッドへの道


 で、先日再びこの近くを通ったので、もう一度そこへ至る道を探した。この辺かなあと見当をつけたのが写真の場所である。だが、ここからは歩いて行かなければならない。このとおり道は草がぼうぼう。オフのバイクだったら、絶好のトレッキングができると思うが、残念ながらオフロード車は持っていない。

 また改めて来る事にしよう。それにしてもこんな畑ばっかりの場所でぐるぐる道を探すのもおかしな話だが、それだけに期待は高まっている。

 (2005/2/28)


■ 聞かなきゃよかった ■

 先日バイクのバッテリーが終わってしまい、引き上げに来てくれた地元指宿のバイク屋さん。今日はそこに注文していた新しいバッテリーを付けてもらいに行った。

 作業を終えたバイク屋のおやじさんに、ずっと気になっていたそこからわりと近い廃墟について「あそこは何だったのですか?」と尋ねてみた。

 最初は何のことだかわからないようだったが、すぐに合点がいったようで、「ああ!そこなら■■■だったんだよ。…」と詳しく教えてくれた。実は私も予想していたのだが、そのとおりだった。

 それはそれでよかったのだが、それなりのいわれがあるわけではなかった。なんだか拍子抜けしてしまったというのが正直なところ。決して悲惨なあるいは悲しいいわれを望んでいたわけでは…。望んでいたのかなぁ…。

 (2005/2/22)


■ 巨大廃墟の行く末 ■

グリーンピア指宿 クリックで拡大  指宿市の、ある山の上に、悪名高い厚生年金施設「グリーンピア指宿」があった。この手の赤字施設の統廃合のあおりを受け、もう何年も前にここも閉鎖に追い込まれた。そして巨大な廃墟と化した。とは言っても、入り口ゲートには厳重なバリケードが築かれ、勝手に入ることはできない。

 しかし廃墟をめぐるのが好きな私にとって、この巨大施設の廃墟は今も憧れ(?)の場所なのだ。いったいどうなっているのだろう。本館そのものも巨大だし、広い敷地には屋内プール、テニスコート、ゴーカート場や巨大観覧車を擁する遊園地…。

 まだこの施設が華やかなりしころ、一度だけ宿泊したことがある。何と言っても指宿全体を一望できる本館内の大浴場はすばらしかった。ここも今はカビだらけになっていると思うと、悲しくなる。

 この巨大施設、何が悪いかってその立地条件が悪い。山の上にあるのだが、そこに至るまでの道路事情がよくないのだ。細いくねくね道を登っていかなければならない。普通の車でも行き会うと神経を使う。ましてや大型のバスなどにとってこれほど走りにくい道はないと思う。

 そして、入るだけでも1000円前後の入場料を取っていた。これではよっぽどの理由がないかぎりわざわざ来る人もいないわけで、当然の如く赤字経営であった。閉鎖の数ヶ月前にやっと入場無料になったが、時既に遅しであった。

 閉鎖後、いくつかの買収の話があるにはあったが、どれも立ち消えになり今にいたっている。ところが、最近なんらかの研究施設として転用する話がもちあがり、動き出したようなのだ。入り口ゲートも相変わらずバリケードはそのままだが、グリーンピアの電飾は取り去られ、水色に塗り替えられた。

 開かずの間的なこの巨大廃墟が再び生き返るのはいいことなのかもしれないが、ちょっと淋しい気もする。

 (2005/2/19)


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■ 「廃屋」ここは…! について ■

 本日2月17日に満を持してアップした廃墟「廃屋・ここは…!」は、記念すべき10箇所目の物件となる。

 そしてここはけっこう名の知られた場所である。ガス爆発の家とよばれ、かなり大規模な屋敷が吹っ飛び、住人は死亡…といういわく付きの場所なのだ。

 その真偽がどうかはともかくとして、私の地元指宿にこういう場所があること自体、驚きであった。場所そのものは子どものころから知っていたが、そんないわく付きの場所だということは知らなかったのだ。

 10年くらい前には、某信販会社の管理物件の立て札が入り口にあり、入れないようにしてあった。だが、いつのまにかその立て札もなくなり、荒れ放題になっていった。

 登記簿を見たわけではないので、実のところはわからない。だが、ここを購入あるいは賃借りする人がだれもいないことは、この荒れ具合いで見て取れる。

 もしここを訪れることがあっても、私の直感だが、夜はやめたほうがいい。

 (2005/2/17)


■ PROFILE ■

 PROFILEを少し改筆しましたので、どうぞご覧ください。

 (2005/2/16)


■ Ruins in Kagoshima − 編集室より 『管理人不定期日記』 ■

 主に指宿を中心とした鹿児島の廃墟をめぐって撮った写真の数々を展示していこうと考え、このHPをアップしたのが2005年1月27日。

 こうして少しずつですが、いろいろな場所を紹介できるようになりました。で、毎日というわけではありませんが、廃墟関連のこぼれ話などを記録できたらと思い、『管理人不定期日記』を新設しました。

 こちらもどうぞお目通しのほどをよろしくお願いいたします。

 (2005/2/15)



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