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廃寺その壱 ――「大通寺跡」



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大通寺跡

 鹿児島県揖宿郡頴娃町郡にある寺院跡です。その名も「大通寺」。下の看板の写真を見てくださればこの寺の縁起がわかります。

 そんなに大規模な寺ではなかったようですが、今も代々の住職や伴姓頴娃氏の墓石・宝篋印塔(ほうきょういんとう)などが残っています。

大通寺跡

 大通寺から山手にのぼっていくと伴姓頴娃氏の居城跡があります。この城跡はそう言ってもらわないとわからない状態です。もちろん、城跡の看板がでていますが、それらしい痕跡はほとんどありません。

 室町時代から続く大通寺は、看板に書いてあるとおり、明治2年に廃寺となりました。廃仏毀釈が徹底しておこなわれたあおりをこの寺ももろに受けてしまったのです。

墓石

 歴代住職の墓が並んでいます。禅師とありますから、禅宗の寺院だったということがわかります。武士の菩提寺ですから、禅寺だったことは自然です。

 ちなみに旧薩摩藩では浄土真宗が禁止されていました。ですから隠れキリシタンならぬ、隠れ念仏の人々がいたのです。したがって表向き、浄土真宗の寺院は鹿児島にはもともとなかったわけです。しかし廃仏毀釈は何宗の寺であろうとおかまいなしに行われました。



■ 下の三つの画像は宝篋印塔とよばれる石塔です。

 真ん中と右の写真に写っている石塔群はちょっと保存状態が悪く、倒れたままのものもあります。

宝篋印塔 宝篋印塔 宝篋印塔

 宝篋印塔とは、本来は宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を納める木製の塔でした。下より基礎・塔身・笠・相輪からなる独特の形をし、鎌倉時代辺りから石製で供養塔、墓塔としても建てられるようになりました。鹿児島県川辺町の宝光院跡、同町磨崖仏などにも見られます。現在では、様々な仏教の宗派で、供養塔として建てられています。


 下左の写真は仏さんが刻まれている石碑群。

 下右の写真はにゅっと草の中に突き出た水道の蛇口。水が出るのかなと蛇口を回してみたら、ちゃんと出ました。この大通寺跡にはほかにも現役(?)のお墓があるのです。

石碑蛇口


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