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鹿児島県坊津町の、とある場所にこの建物を見つけたのは、数年前でした。その時も既にこの状態でした。最初はいったいこれは何だ?ということと、まあ何と無駄なものをつくったものだと感じたのであります。かつてのふるさと創生資金の使い道がこれだったとしたら、悲しすぎます。
左は正面玄関。厳重に扉は閉ざされています。その上には「遣唐使館」の名前が。
ところが建物の横部分は右の写真のとおり「どうぞご自由に」てな感じであぽーんと開いています。
正面の厳重な入り口の閉め方にはまるで意味がありません。その内側がこれです。意味があるとすれば、それはもう二度とここがまともに使われることがないということです。
それにしても、この建物はどういう意図をもってつくられたのか、少しでもわかるかもしれないと思い、様子を拝見することにしました。もちろん、だ〜れもいないのです。
一階部分の一室。学習室というプレートがつけられています。でも中の様子を見る限り、倉庫として使われているとしか言いようがありません。ここは施錠されていました。
二階への階段口です。食堂があったようですが、もちろん現在はまったく営業していません。こういうところの食堂って、たいてい閑散としているものですが、想像するに営業していたころも閑散を通り越した状態ではなかったかと思われます。
「二階へどうぞ」と書いてあるので上がらせてもらうことにしました。
階段です。のぼっていくと…この部屋に行き着きました(右の写真)。おそらくこの建物ができたほんの少しの間だけ食堂として営業していたのでしょう。
ここも施錠されていたので、中へ入ることはできませんでしたが、がら〜んとしてました。倉庫にすら使われていないようです。
再び階段を降りていきます。降り口に「鑑真記念館」と書かれた看板が横たわっていました。
中庭から食堂のある方の建物を撮りました。右の写真の左下に写っているのが「ご自由に」入れる入り口です。それにしても味も素っ気もない建物です。窓の少なさがちょっと異様ですが…。
おそらく坊津という町の歴史的な役割をアピールしようということでこの「遣唐使館」が造られたのでしょう。駐車場の広さも並みのものではありません。多くの来場者を見込んでいたのでしょうが、まったくダメだったことがよくわかります。
確かに唐僧鑑真が幾度もの失敗をのりこえ渡日した最初の場所がこの坊津だったことは事実でしょう。しかし…、この「遣唐使館」のありさまには鑑真も泣いていると思います。どうでもいいものの倉庫と化しているわけですから。
ちなみにこの建物の道をはさんだ反対側には不気味なトイレがありました。下の3枚の写真をよく見てください。入り口がふさがれているのです。
右の写真を拡大すると、ここがアスレチック場だったことがわかりますが「老朽化のため使用を禁止します」と観光課長の名で看板が立っています。
そしてこの看板のかけてある柱のてっぺんには羽根の取れた風車らしきものがくっついています。
このあたりは坊津町の「風車村」という名のレジャー施設なのですが、まったく鳴かず飛ばずだということを自ら宣言しているようなものです。寂寥をおぼえるというのは、こういうことをいうのでしょう。
※ 警告!※
建物や場所によっては崩壊の危険など(ほかにもいろいろな意味で)かなりやばいところもあります。また、管理人がおり勝手に入ることのできない所もあります。もしこれをご覧になったあなたが現地に行くときには、それらの危険などがあることを覚悟の上、自己責任で行って下さい。
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